青いそら~オニーとオカンと時々イモート~

これはアスペルガーのオニーとフツーのオカン、2人の20年以上にわたる成長記録である。

68***オカン的 きょうだい平等論***

人は自分が満たされている時、他人に優しくなれる。自分が幸せな時、他人の幸せも笑って共に喜ぶことが出来る。

同じ親に育てられたきょうだいでも、同じ事が言える。親は、勿論きょうだい分け隔てなく、平等に愛情を注いでいる。と思っている。同じように習い事を習わせ、塾に行かせ、学校に行かせた、と。

では、自分が子どもの時、どう感じていた?自分の親はどうだった?

オカンの考える平等とは、まず習い事や学歴は関係ない。もっと心情的なところ。きょうだい1人1人が『自分は充分に愛された(あるいは愛されなかった)』と親に対して同じ感情を(強さは個人差があるとして)持って育つということだ。

子どもはそれぞれ、親に対して求めている事が違う。だからきょうだいに一律同じ事をしていては不平等になると思うのだ。

平等にする為には、その子の特性を読み、求めている事を感じ、的確に愛情を注いでいくという作業が必要だ。

例えば、オニーは常に自分を見て欲しい、かまって欲しい、一緒に何でもして欲しいタイプ。愛情の壺がとてつもなくデカい上に、底がザルになっている。なので、愛情である時間やお金をいくら注いでも壺が満たされる事は無い。なんせ底がド荒い目のザルなのだから。貯まるわけが無い。ダダ漏れだ。(ようやく最近、オニーの壺の底がザルじゃなくなったように感じる)

ところがイモートの愛情の壺は、一合徳利くらいの大きさ。近くでそっと見守って貰っていて、ちょっと不安になって周りを見回した時に目が合えば安心する、それで充分だった。

そんな2人を平等に、同じ時間、同じ様に愛情を注いだらどうなる?

オニーに合わせるとイモートは息苦しいし、イモートに合わすとオニーは物足りなくて愛情を感じられない。つまり、オニーには愛情を絶え間なく注ぎ続けることが必要で、イモートには求められた時を見逃さずに注ぐことが必要。はたから見れば、それは不平等に見えるかもしれない。実際、義母には「オカンはオニーばっかりで、小さい頃イモートはいっぱい我慢してたよね。」と言われた事がある。"はた"?それは"世間"?出た!また世間。そんなの関係ねぇ!!

オニーはどう思った?イモートはどう感じた?そして現在のオニーとイモートの関係はどうだ?

父親の子ども達との関わり方のせいで、オニーがイモートを良く思えない時期もあった。私は親のせいできょうだいが仲良く出来ないのは許せなかった。自分と姉がそうだったから。夫と義弟もそうだったから。母親のせいで、そうだったから。

オカンはオニーに「お父さんは何でイモートばっかりなん?」と聞かれ、「男親は女の子が可愛くて、女親は男の子が可愛いもんなんよー。」と苦しい言い逃れをした。「ほんなら、オカンはオレの方が可愛ええんやー♡オレが1番やんな!」うーん、そういう事にしておこう。バレんようにせんと。

この時ほど男女のきょうだいで良かったと思ったことはなかった。歳の近い同性のきょうだいだと通用しないから。オカンも夫もそうだったように。母親に可愛がられて姉に嫌われ、どちらも好きで複雑な想いで育ったオカンと、母親が弟ばかり可愛がると感じて、無意識に自己愛という道を選んだ夫。

義母は幼い息子に、「なんで弟ばっかりなん?」と聞かれた事があったらしい。「お兄ちゃんは何でも出来る賢いお利口さんだからよ、って言うたら嬉しそうに納得してくれたから良かったわ。」と言う義母に、いつもは仲良くて好きなのだが、とても腹が立った。違うやろ…。夫は弟のようにかまって欲しかった。自分ももっと愛されたかった。夫はきっとその寂しさを抱え、それをプライドで隠し、無かったことにして大人になった。そして我が子に母親と同じことをした。無意識のうちに…。

数の子どもを平等に愛す。これはその子が求めている事を、性格を把握した上で察知し、丁寧に向き合って関わり続けていくことに尽きると思う。

初めは間違いもするし、誤解もするし、上手くいかないことだらけだが、その都度修正していく。

間違ってたら謝る。素直に謝る姿を見せる。

時には泳がす。やらせてみればいい。例え失敗すると親は分かっていたとしても。

教えた事が教えた時に全て響く訳ではない。だから待つ。教えた後は願って待つ。

この繰り返しの22年。

「お前が正しいんか!?」

まだまだ途中経過だけど、今のオニーとイモートを見て!今んとこ大きく間違ってはいなかったみたいよ、私(笑)