青いそら~オニーとオカンと時々イモート~

これはアスペルガーのオニーとフツーのオカン、2人の20年以上にわたる成長記録である。

32*2008 オニー小学校3年生>>3

オカンは何処へ向かうともなく車を走らせていた。実家の母には心配をかけたくないし、何処に行けばいいのだろう・・・。携帯が鳴った。オニーからだ。オニーが家からかけているのだ。ブチッと切る。何度も何度もかけてくるので、1度取ると、「ママ!どこ行ったん?ママ!!」とオニーが泣きながら叫んでいる。「もうオカンはアンタをよぅ育てへん。もうムリやわ。ごめん。」と言って切った。涙が止まらなかった。

しばらくかかってこなくなったが、また携帯が鳴った。実家の母からだった。車を停め、電話に出た。「さっきオニーが泣きながら電話してきたけど、どうしたん?何かあったん?」母の声に耐えられなくなり、泣きながら「もう嫌や。ムリや。あの子はよぅ育てへん。私にはムリや。」と訴えた。母は「とにかく家においで。そんな状態で運転してたら危ないから。帰っておいで。」と言ってくれた。オカンはようやく行き先を見つけて車を実家へ走らせた。車の中では空気の読めるイモートがスヤスヤと眠っていた😴

実家に着くと、母はオカンには何も聞かず、イモートに「何か食べる?」とか「夕飯食べていく?」等と喋りかけていた。

少し落ち着いたオカンは母に話した。普段からトラブルが多くて呼び出しや謝罪に行っていることやそれを夫に言えない(言ってもまともに聞いてくれない)こと、誰にも相談出来ない(理解や共感してくれる人がいない)こと・・・。

オカンはn市から地元に戻ってかなり心が楽になったとはいえ、オニーのトラブルは相変わらずだったからか、痩せたままだった。母は結婚前よりやせ細っているオカンを心配して、週に1度オニーのスイミング帰りにイモートと3人で実家へ寄って夕飯を食べるようにしてくれていた。帰りには残り物おかずのお土産付きで。

育児や夫の苦労は言ってなかったが、女子校育ちで男きょうだいも居ない、男の子を知らない娘がやんちゃな息子で苦労している姿は母にも辛かったようだ。夫の精神的なサポートもなく、1人で頑張っている娘が不憫だったのか、よくオニーに「オニー、ママの言うことよく聞いてね。ママが困ってるとアーチャン悲しいよ。」と言っていた。それなのに、オカンが初めて泣きながら辛いと、もう育てられないと言って実家に来たのだから、母は物凄く驚いただろうし、心が痛かっただろう。

夕飯は喉を通らなかったが、とりあえず誰かに心の痛みを聞いてもらえた事で少し落ち着いた。母に「落ち着いたら帰りなさい。オニーも1人で心細いやろし。」と言われ、オカンは帰ることにした。

でも、これからどうしたら良いのだろう・・・。もう全く分からない。

夜9:00頃、家に帰るとオニーが布団をひいて寝ていた。夫はまだ帰っていなかった。オニーの顔は涙の跡でぐちゃぐちゃだった。「・・・ごめんね。」その寝顔を見てまた涙が出た。何か食べたのだろうか?泣き疲れて寝たのだろうか?まだ8歳なのに・・・。そうだ。まだ8年しか生きていないのだ、この子は。

オニーの頭を撫でながら、色々な事が走馬灯のように頭の中をぐるぐる回り眠れない夜が過ぎて行った・・・。