青いそら~オニーとオカンと時々イモート~

これはアスペルガーのオニーとフツーのオカン、2人の20年以上にわたる成長記録である。

50***オニー 小学校の総括***

*学校生活では*

小学1・2年生は、手がかかるけれどベテラン担任に支えられた2年間。

小学3年生は、オニーとオカンにとって大きな転機となるパピーさんとの出会いがあった。この時からオニーとオカンの絆は深まった。そして引越し、転校。

小学4年生は学級崩壊したがO先生に救われ、小学5・6年生は色々ありながらも大きな問題はなかった。


*家庭では*

低学年の頃は毎週のように家族でどこかへ出掛けたり、近所の大きな公園へ行ったりしたものだが、オニーが高学年になると、休日も学校の友達と遊ぶ事が増えていった。

習い事では、ギターは続いていたが、ボーイスカウトは5年生の終わり頃で辞め、テニスも1年程で辞めていた。家塾も、勉強が学校に追いついた事もあり、小学6年生の夏休みから近所の学研に通う事にして終了した。

オニーと父親の関係はどんどん溝が深まっていた。

低学年の頃から外食をすると、オニーもイモートもオカンの横に座りたがってもめ、父親が不機嫌になり、オカンはハラハラするのが常だった。

4人で外出すると、必ず何かでオニーが父親に怒られる。イモートが泣こうものなら、父親は何も見てなくても理由も聞かずに「オニー!」と怒る。オニーは不貞腐れ、イモートは自分のせいでオニーが怒られたとビクビクする。イモートは幼いながらもかなり神経を使っていたらしい。特にオカンの居ない3人での外出は、イモートにとっては地獄だったそうだ。

「あんな、めちゃ大変やってんで。お父さんの機嫌損ねん様に気ぃ遣うし、楽しないし。いや、ホンマ、なんでオカンおらんねん!って思とった‪w」高3になったイモートは笑いながら教えてくれた。父親とオニーの間で神経をすり減らすオカンの代役をしてくれていたのだ。

そうしてどんどんオニーと父親の、そしてイモートと父親の心は離れていった。

子どもが親にして貰いたいことは何だろう。あぁ、子どもだけじゃないかもしれない。人が相手に、特に親や好きな人にして貰いたい事。それは、話を聞いてもらうこと、ではないだろうか。

特に子どもは、オニーは父親に自分の話をちゃんと最後まで聞いて欲しかったと思う。どうしてそんな事をしたのか。何が気に入らなかったのか。嘘も言い訳も全部、聞いて欲しかったと思う。

父親とオカンの1番大きな違いはそこだったと思うのだ。包む、認める、褒める。パピーさんのいうこの3つは、子どもの言う事を全部聞いた上で、嘘も言い訳も全てを包んであげて、そう言ってしまったその子の全てを認めてあげて、分かっていないところは教えてあげて、それが出来たら褒めてあげる。そういう事ではないか。

ハタチを過ぎた今も、家を出て2年以上経った今も、オニーは何かあるとオカンに電話をしてくる。1時間以上なんてザラだ。

「今、こんなん考えてるねん。」「こんなんしたいねん。」「BBA!(←ババー𐤔)ヒマやろー?あ、オレひまちゃうわ!ほな!」

・・・なんやねん!?って時もあるが、オニーは分かっているのだ。オカンは何時でも何でも聞いてくれる、という事を。幼い頃から心と体に染み付いているのだ。何を言っても全てを聞いてくれる、その後で意見を言ってくれる、という事を。

小学校の6年間。色々あったけど、オニーとの親子の土台はしっかり出来た。そしていよいよ、今思い返しても二度と戻りたくない、辛く苦しい中学時代に突入するのだった・・・。