青いそら~オニーとオカンと時々イモート~

これはアスペルガーのオニーとフツーのオカン、2人の20年以上にわたる成長記録である。

59***オニーと父親***

幼い頃から少しずつ心の距離が広がっていたオニーと父親だったが、小学校高学年位からかオニーは父親に不信感を抱くようになっていた。

以前から父親は、オニーがまだやってもいない事を、「オニー、〇〇するなよ!」と先回りして注意する事が多く、それを言われると不機嫌になるオニー。(当然だ。) 父親からすれば、今までのオニーの行動パターンから予測して、やりそうな事をやる前に阻止しようとしているのだが、やってもいない、やらないかもしれない事を先回りして怒られる、なんて子どもにとったら「オマエを信用していないぞ。」と言われているも同然で、当然面白くない。(いや、大人だって不快だ。)

それをオカンの実家でもやるものだから(義父母に迷惑をかけない為かも知れないが)、オカンの母は昔からとても心配していた。

「あんなことしてたらアカンよ。子どもの心を傷つけるわ。思春期が思いやられる。男の子は父親が手綱引いてくれんと大変って聞くよ。・・・あぁ、もう見てて嫌やからはよ夫連れて帰って!」母はオカンによくそう言っていた。

そんなこと。分かってる。私が1番分かってる。でも、夫に言えないのだ。逆ギレされて潰されると分かっているから言えないのだ。オカンには夫に立ち向かう気力が無かった。

中学1年生の終わり頃だったか・・・

家族で外食をしていた時、何の会話からか「自分に厳しく」という話になった。昔から、自分には厳しい、と自負している(っぽい)父親が、自分に厳しくしろ的な事をオニーに言ったところ、「自分も出来てへんくせに。」とオニーがボソッと言ったのだ。

確かに。オカンもそう思う。自分に厳しく無い訳ではないのだか、人への厳しさと自分への厳しさが同レベルに見えるので、人にそれだけ厳しいならもっと自分に厳しくせんとアカンくない?そういう意味で自分に甘くない?と思っていた。オニーもそう感じていたのだろう。だから言ってしまったのだ。「自分も出来てへんくせに。」と。

これに父親は激怒した。座敷の横に座っていたオニーの顔面にグーパンチしたのだ。びっくりしたオニーにもう1発。「生意気な事言うな!」オカンもイモートも固まった。目の前の光景が信じられず、家に帰るまでの記憶は無い。

家に戻ってリビングで、父親はまたオニーを殴った。オニーが憎しみのこもった目で、涙を浮かべながら父親を睨んでいたことはハッキリと覚えている。多分、オカンが父親に、さすがにそれはアカンからオニーに謝って、と言ったと思う。すると父親は、床に土下座をし、「ど・う・も、スイマセンデシタ!」とバカにしたように謝った。

ここが最期の分岐点だったかも知れない。今考えると、ここでオニーは父親を切り捨てた気がする。この頃からオニーは父親を「ヤツ」と呼ぶようになった。

思春期真っ只中のオニーが、父親への怒りと憎しみを抱いて暴走を始める・・・。