青いそら~オニーとオカンと時々イモート~

これはアスペルガーのオニーとフツーのオカン、2人の20年以上にわたる成長記録である。

13***オカンのココロ***

オニーが小さい頃からこの頃までのオカンのココロの中は・・・

オニーは公園デビューをした頃から、周りの子達と上手く関われずトラブルが多かった。オカンはオニーを追いかけ回して謝りまくっていた。悪気なく人の物を取り上げたり投げたり。何度教えても同じ事を繰り返す。

女きょうだい、女子校育ちのオカンにとって男の子は未知の世界。夫に相談しても、夫は会話もスムーズに出来るオニーが普段どんな様子かを知らない為、「男なんてそんなもんや。」「オレもそんなんやったわ。(*`ω´)フフン」と鼻で笑う始末。なんならオカンの躾が悪いかのように「こうすれば?」「ああしてみた?」と言ってくる。いや、違う。ちゃうねん。私はどうしたらいいかを考えて欲しかったのではなくて、ただ話をちゃんと聞いて欲しかった。たとえ共感は出来なくても、「そうなんや。でもアンタはよく頑張ってるよ。」と言って欲しかった・・・のだと思う。誰も知らない土地で、たった1人の頼れる(ハズの)人だったのだから。

全てをー家族を、仕事を、友達を、全てを関西に置いて、夫だけを頼りに知らない土地へ行った私に、初めての育児に苦しんで、孤独の中で泣いている私に、一言、「よく頑張ってるね。」と言ってくれたら・・・。「n市に付いてきてくれてありがとう。」なんて言ってくれたら・・・いや、そこまで望むのは欲か・・・。

そうして、私は誰にも辛いと言えなくなった。遠くに嫁に行った私を心配してくれる母にも、オニーが産まれる4ヵ月前に未亡人になった姉にも、誰にも。

オニーが年少組の頃、よく1人で布団をかぶり込んで大声で泣いていた。辛く悲しい時、こうすれば少しスッキリした。ある日の夕方、ピンポンが鳴り、覗いて見るとAさん。「どうしたん?」と出ると、「オカン、大丈夫?」私を心配して来てくれたのだ。でも。その頃の私はAさんの前で泣いて辛いと言えなかった。若かった私は人に弱味を見せれなかったのだ。「大丈夫やで。何で?」何でもない振りをしてしまった。きっとAさんは私が毎日泣いていた事に気付いていたと思う。今なら迷わずAさんの大きな胸(腹?)に飛び込んで大声で泣けるのにねꉂꉂ( ˊᵕˋ )

関西に戻って、沢山の人達に救われた。相変わらずオニーの事では謝り人生だったし、私の周りにやんちゃな男の子を持つ人がおらず、オニーの事を相談出来る人は居なかったが、とにかく、もう私は独りじゃなくなった!

地元で水を得た魚の様なオカンと、転職先でも人間関係に苦労する夫。関西に戻った事を夫は後に後悔する・・・。