青いそら~オニーとオカンと時々イモート~

これはアスペルガーのオニーとフツーのオカン、2人の20年以上にわたる成長記録である。

55***オニーの兆候***

オニーのアスペルガーの兆候は、今考えると幼い頃からちょくちょく見られた。公園デビュー後の行動、幼稚園や小学校での友達との関わり方。しかし、その頃はただの【理系脳の思いやり欠乏症の想像力不足の天邪鬼の引き際知らずの厄介な息子】だと思っていた。

中学生になる頃から、オニーは下着のパンツの腰に当たるタグを嫌がり、取ってくれと言うようになった。肌に直接触れる下着やTシャツの肌触りに敏感で、オカンが買ってきた服の肌触りが気に入らないと絶対に着ない。自分で買ってきても失敗して着ない服もあった。なので、中学も高校も服はオカンと一緒に買いに行って慎重に選んでいた。

中学1年の夏頃、友達と大阪の万博記念球技場へサッカーの試合を見に行った。家を出て1時間程して電話がかかってきた。「オカン、球技場の周りに屋台が出てて、皆色々買って食べてるねんけどな、オレお金足りひん。」「そうか。ほな帰ったらすぐ返すから、友達にお金借りれへん?」「ムリや。だって、オカン、友達と金の貸し借りしたらアカンっていつも言うてるやん。」「・・・いや、そうやけど、今からオカンそっち行くのに小1時間かかるで?帰ったらその足でその子の家にお金返しに行くから。」「ムリや。言うてる事ちゃうやん。」「・・・分かった。直ぐ行く。」オカンは往復2時間と電車賃1,000円以上をかけてお金を届けた。

きっとイモートなら、同じ様にお金の貸し借りを禁じられていても、この場合なら友達からお金を借りたと思う。臨機応変。オニーにはそれは出来ない。オニーにとっては、そこでお金を借りろと言うオカンは筋が通っていないし、イミが分からないのだろう。

オカンは幸いパート主婦だったので、オニーに時間をかける事が出来た。お金は無かったけど時間はあった。シングルで子どもに手がかかる人を思うと、私は恵まれていた。

夫は精神的に私を支えてはくれなかったけど、経済的には充分ではなくとも支えてくれた。そのお陰で、オニーの数え切れない学校への呼び出しにも毎回時間をさけたし、塾へ忘れ物のノートを届ける(そのノートでないと授業を受ける気になれない)ことも出来た。

オニーの偏った思考や強いこだわり一つ一つに時間をかけて寄り添う。これはシングルでフルタイムで生活の為に働いていたら難しかっただろう。夫が居たから出来たこと。

当時はそんな風には思えず、そんな事を考える余裕もなく、ただただオニーとイモートだけを必死に見ていた。

アスペルガーのこだわり。ともすると、我儘と思われがちだ。夫は私が甘やかしたからだ、と言った。私もそうなのかと悩んでいた。小学校に入学位のタイミングで、全ての子どもに発達障害のテストは出来ないのだろうか。自分の特性を知る事で本人も、いや、その歳なら本人よりも、救われる母親がいるのではないだろうか。少なくとも私は自分を責めずに済んだと思う。夫婦でオニーのアスペルガーに向き合えたかも知れない。今更、だけど・・・。