青いそら~オニーとオカンと時々イモート~

これはアスペルガーのオニーとフツーのオカン、2人の20年以上にわたる成長記録である。

71*2013 オニー中学校2年生>>8

夏休みに入った頃、姉が家に遊びに来た。未亡人の姉には、それまで夫の不満、育児の大変さや泣き言など言った事が無かったのだが、心に全く余裕が無くなっていたオカンは初めて崩壊しかかっている家庭事情を話した。話している内に涙が止まらなくなり、10年以上の家族不和の経緯を話した。

姉は家まで建てて幸せに暮らしていると思っていた妹の家庭が、まさかそんな事になっているとは露ほども思っておらず、ただただ驚いていた。

以前1度育児の愚痴を言った時、「あんただけが大変なんちゃうやろ。私は子どもが居ないから分からんけど、私の友達も皆頑張って子育てしてるで。皆大変やん?」と言われ、それ以来、夫も子どもも居ない姉には何も言わなくなっていた。

初めて妹の口から聞く義弟の姿が、たまに会う時のイメージと合わないようで、それにもとても驚いていた。そう、夫は見た目は大人しくて優しくて静かな人に見えるのだ。社交的で明るいオカンが優しい夫を尻にひいている。それがオカン夫婦を知る世間の人のイメージだった。オカンと夫をよく知るコアな友達と実母と義母を除いて。

夫の前でオカンは、常に顔色を窺い、機嫌のいい時に言葉を選んで話し、子ども達に不利にならないように必要な会話だけをし、なるべく顔を合わせないようにして暮らしていた。何時からそうなったのだろう…。

幸いオカンには、夫を1番理解した上で味方をしてくれる義母がいた。義母は義父(別居していた)とそっくりな息子を苦手に思っていたので、私の気持ちを分かってくれた。愚痴をオブラートに包んで話すと、いつも「あー分かるわ。お父さん(義父)と一緒!だから何も頼まないし、喋らなくなるのよね。そっくりやわ。」と共感してくれた。2人で出掛けると、「可哀想に、ストレス溜まるね。ストレス解消しよう!」と言って、美味しいご飯をご馳走してくれ、服やバッグ等を買ってくれたりした。義母が居なかったら、確実にカサンドラ症候群になっていたと思う。

とはいえ、家での父と息子の関係は相変わらず悪く、夫と仲良くしようと頭では思っていても心から夫に寄り添えない自分に苦しんでいた。

そんなオカンに姉が、「もしかして、オニーはアスペルガーじゃない?」と言って文献をくれた。読んでみたが、いまいちよく分からず、ゴッTに相談した。

「ウチのオニーはアスペルガーでしょうか?」

しかし当時はまだあまり発達障害は認知されておらず、ゴッTも分からなかった。そこでオカンは自ら児童相談所に相談してみた。児童相談所なのだから、児童の相談に乗ってくれるハズ!オニーに父親を殺させる訳にはいかない。イモートの為にも、絶対に。

まずは電話をし、オニーの現状を話した。相談員の方が話を聞いて下さり、カウンセリングを勧めてくれた。「息子さんを連れて来ることは出来ますか?」「はい!連れて行きます!お願いします!」藁にもすがる思いでカウンセリングの予約をした。オニーに、一緒にカウンセリングに行ってみないか、と聞くと「えーよー」と快諾。夫にもオニーを連れてカウンセリングに行く事を話すと、それは良いかも、と言ってくれた。

カウンセリングを受ければ何か分かるかも、何とかなるかも…。一筋の光だった。

 

 

70*2013 オニー中学校2年生

夏休みに入る少し前、オニーが可愛がっていたチョロ太が死んだ。

小6の春から飼い始め、中1の時には一緒に旅行へ連れて行ったチョロ太。2才を過ぎた頃から丸々としていたフォルムは少しづつ小さくなり、寿命の近づきを感じさせていた。チョロ太に接するオニーは、いつも昔のままのオニーだった。

ある日の夕方、チョロ太の動きがおかしく、これはもうすぐ天国へ逝ってしまうと感じたオカンは、学校に持って行ってはいけないスマホに電話をかけた。出ない。オニー、早く帰って来て!チョロ太が逝ってしまう!何度も何度も電話をかけた。

チョロ太を手のひらで包みながら、「チョロ太、もう少し、もう少しだけ頑張って!オニーが帰って来るまで待って!」と祈っていた。

ガチャッと鍵が開く音がして、オニーが帰って来た。「オニー!早く!チョロ太が…!」オニーはリビングに駆け込んで来て、オカンの手からチョロ太を自分の手のひらに移した。「チョロ太…。チョロ太…。」ポロポロ涙をこぼしながら、オニーはずっとチョロ太を撫で続けていた。

どれくらい経っただろうか、チョロ太は動かなくなった。天国へ逝った。「オニーが帰って来るん待ってたんやね。」「チョロ太、ありがとう。」チョロ太もオニーも穏やかな顔をしていた。

オニーは本来こういう子なのに…。どうして荒れるのか?何にイライラしているのか?思春期でホルモンのバランスが崩れているのか?どうして?なぜ??

チョロ太の前の素直なオニー。人が変わった様に不機嫌になるオニー。かと思えば、オカンに甘えてくるオニー。どうなってるの?一体…?

1つ、思い当たる事がある。それは父親への強い反発と嫌悪感。オニーは自分でも自分を持て余しているようで、「何がしたいんか分からへん。お母さんを悲しませたい訳じゃないのに…。」と泣いてみたり、かと思えば「ヤツを殺してやりたい!ヤツを殺してオレも死ぬ!」と言い出したり、情緒がバラバラだった。

このままでは危ない。いくら夫婦仲を改善したとて、オニーの父親への感情がこのままだと危険だ。夫の愛情の電池が充電完了する前にオニーが父親を殺したら…?イモートはどうなる?

夫の愛情不足は深刻で、直ぐになんとかなるとは思えなかった。親で満たされなかった愛を嫁に求めたのに、子どもが出来た事でまた満たされなくなった。愛情の枯渇状態が続いた夫に、自分の電池が満たされないままでは息子への愛情や共感は望めない。どうすれば2人共救えるのか?オカン1人で同時に2人を充分に満足させることは不可能だ。

どうすれば良かったのだろう…。

69*2013 オニー中学校2年生>>6

夫との関係修復を頑張るオカンと、思春期で自分でも分からないモヤモヤの中でもがくオニー。生意気な口をきいたり、ちょっとした事で不機嫌になって家を破壊したりしていたが、(イモートの部屋のドアはオニーが体当たりして穴があいていた…)今から思えば普通の中坊だったのかもしれない。

夏休みを前に、オカンはとても不安だった。昨年は部活のお陰で長い夏休みも規則正しい生活が出来た。しかし今年は部活もなく、夜の塾までの間をどう過ごすのだろう。きっとS君とつるんでヒマを潰す。そんな状況が続いたら、夏休みの間に堕ちる所まで堕ちてしまう…。

オカンは夏休み前に決まったパート先を辞退した。働いている場合ではない。オカンは必死に考え、オニーに何かしたい事はないか聞いた。「思っきり人をボコボコに蹴りたい。あと…泳ぎたい。」うーん…。キックボクシングとか?空手?スイミング??

パソコンで調べまくった。近所で習える所はないか。調べては電話で問い合わせたり、イモートを連れて自転車でその場所へ行ってみたりした。ある時、かなり遠くまで探しに行って疲れ、途中のコンビニでジュースを買ってイモートとしゃがんで飲んでいた時、オカンがポツリと「なんか…ママ間違ってたんかなぁ…」と弱音を吐いた。イモートはきっと、何も分かっていなかったのだろうが、「そんなことないやろ。」と言ってくれた。

まだ小学校4年生のイモートは、多分オニーに何が起こっていて、両親がどうなっていたのかは分かっていなかっただろうが、オカンがとにかく辛そうだという事は感じていたようだ。

必死に色々探したが、どこも習い事は夕方からで、朝から昼間の時間を埋める事は出来そうになかった。どうすればいい?困ったオカンはゴッTに相談した。するとゴッTが「私が顧問をしているサッカー部に入らないでしょうか?」と言って下さった。サッカー部は夏休み中、暑くなる前の早朝から練習が始まり、気温が上がってくるとプールで泳ぎ、その後クーラーの効いた部屋でお弁当を食べて夏休みの宿題をして、15時頃に解散する。これは素晴らしい!

早速、オニーに聞いてみた。「オニー、サッカー部に入ってみぃひん?」オニーは満更でも無さそうに、「えーけどー。」と言った。良かった!

と思ったのも束の間、翌日オニーが学校から帰って来て、「ムリや。サッカー部入れへん。」と不機嫌に言う。理由を聞くと、サッカー部はユニフォームやスパイクが必要で、全部揃えると3万円くらいかかると言われたそうだ。なんせ我が家は小遣い年棒制(半年制?)。既にスマホと普段のお小遣いで半年分のほとんどを使ってしまっていたオニーは、ゴッTにお金がないからムリ、と言ったそうだ。

ゴッTから電話があり、父親の決めた小遣い年棒制について聞かれた。以前よりオニーから父親との関係が非常に悪いと聞いていたゴッTは、「1度お父さんとお母さんお2人で来て貰えますか?」と言った。

夫に先生からサッカー部の入部を提案して貰った事やお金の事を話したが、夫からすればやはり、自己管理が出来ていない本人の責任でしかなかった。とりあえず2人で学校へ行くと、ゴッTが言った。

「中2の夏はとても危ない時期なんです。中だるみの学年でもありますし、今の状態だと非常に心配です。サッカー部ですが、とりあえずスパイクだけあれば、後は試合に出るようになるまでは家にあるTシャツと短パンで大丈夫です。なんとかなりませんか?」

夫は、私からでなく、先生から直々に言われたことで、「まぁ、そうですねぇ…。」という感じ。更にゴッT、

「オニーの小遣いが年棒制とお聞きしましたが、中学生男子が一度に大金を持つと、やはり気が大きくなって使ってしまうんじゃないですかねぇ。毎月やり繰りしていく練習から始めないと。私なら今でもムリですよ。」

と冗談っぽく言って下さった。「…はぁ。分かりました。」夫は渋々サッカー部の入部と小遣い年棒制の廃止を受け入れた。ゴッT、ナイス!!

家に帰り、オニーに小遣い年棒制廃止を伝え、スパイクは買ってあげるからサッカー部に入るかと聞くと、何処かで自分も不安だったのだろう、入る!と決まった。

オニーがS君にその話をしたら、元サッカー部のS君が、ユニフォームやジャージ等をくれた。持つべきものは先輩…うーん、複雑。

入部は、7月末に3年生が引退してからが良いだろう、という事になり、夏休みに入って1週間程だけヒマになった。その間、オニーは体力作りをする!と言い出し、毎朝オカンとイモートは自転車でオニーのランニングに付き合わされた。ボールをチャリ籠に入れ、少し遠い公園までオニーが走る後ろをチャリ2台がちゃりちゃりついて行き、公園に着いたら3人でサッカーボールを蹴ったり、バスケットボールでシュート練習をしたり、鬼ごっこをしたりした。

傍から見れば、仲の良い親子3人だっただろう。中身は危なっかしい思春期のオニーとハラハラしているオカンと2人を見守るイモートだったのだが…。

こうして中学2年の夏休みが始まった。

 

 

 

68***オカン的 きょうだい平等論***

人は自分が満たされている時、他人に優しくなれる。自分が幸せな時、他人の幸せも笑って共に喜ぶことが出来る。

同じ親に育てられたきょうだいでも、同じ事が言える。親は、勿論きょうだい分け隔てなく、平等に愛情を注いでいる。と思っている。同じように習い事を習わせ、塾に行かせ、学校に行かせた、と。

では、自分が子どもの時、どう感じていた?自分の親はどうだった?

オカンの考える平等とは、まず習い事や学歴は関係ない。もっと心情的なところ。きょうだい1人1人が『自分は充分に愛された(あるいは愛されなかった)』と親に対して同じ感情を(強さは個人差があるとして)持って育つということだ。

子どもはそれぞれ、親に対して求めている事が違う。だからきょうだいに一律同じ事をしていては不平等になると思うのだ。

平等にする為には、その子の特性を読み、求めている事を感じ、的確に愛情を注いでいくという作業が必要だ。

例えば、オニーは常に自分を見て欲しい、かまって欲しい、一緒に何でもして欲しいタイプ。愛情の壺がとてつもなくデカい上に、底がザルになっている。なので、愛情である時間やお金をいくら注いでも壺が満たされる事は無い。なんせ底がド荒い目のザルなのだから。貯まるわけが無い。ダダ漏れだ。(ようやく最近、オニーの壺の底がザルじゃなくなったように感じる)

ところがイモートの愛情の壺は、一合徳利くらいの大きさ。近くでそっと見守って貰っていて、ちょっと不安になって周りを見回した時に目が合えば安心する、それで充分だった。

そんな2人を平等に、同じ時間、同じ様に愛情を注いだらどうなる?

オニーに合わせるとイモートは息苦しいし、イモートに合わすとオニーは物足りなくて愛情を感じられない。つまり、オニーには愛情を絶え間なく注ぎ続けることが必要で、イモートには求められた時を見逃さずに注ぐことが必要。はたから見れば、それは不平等に見えるかもしれない。実際、義母には「オカンはオニーばっかりで、小さい頃イモートはいっぱい我慢してたよね。」と言われた事がある。"はた"?それは"世間"?出た!また世間。そんなの関係ねぇ!!

オニーはどう思った?イモートはどう感じた?そして現在のオニーとイモートの関係はどうだ?

父親の子ども達との関わり方のせいで、オニーがイモートを良く思えない時期もあった。私は親のせいできょうだいが仲良く出来ないのは許せなかった。自分と姉がそうだったから。夫と義弟もそうだったから。母親のせいで、そうだったから。

オカンはオニーに「お父さんは何でイモートばっかりなん?」と聞かれ、「男親は女の子が可愛くて、女親は男の子が可愛いもんなんよー。」と苦しい言い逃れをした。「ほんなら、オカンはオレの方が可愛ええんやー♡オレが1番やんな!」うーん、そういう事にしておこう。バレんようにせんと。

この時ほど男女のきょうだいで良かったと思ったことはなかった。歳の近い同性のきょうだいだと通用しないから。オカンも夫もそうだったように。母親に可愛がられて姉に嫌われ、どちらも好きで複雑な想いで育ったオカンと、母親が弟ばかり可愛がると感じて、無意識に自己愛という道を選んだ夫。

義母は幼い息子に、「なんで弟ばっかりなん?」と聞かれた事があったらしい。「お兄ちゃんは何でも出来る賢いお利口さんだからよ、って言うたら嬉しそうに納得してくれたから良かったわ。」と言う義母に、いつもは仲良くて好きなのだが、とても腹が立った。違うやろ…。夫は弟のようにかまって欲しかった。自分ももっと愛されたかった。夫はきっとその寂しさを抱え、それをプライドで隠し、無かったことにして大人になった。そして我が子に母親と同じことをした。無意識のうちに…。

数の子どもを平等に愛す。これはその子が求めている事を、性格を把握した上で察知し、丁寧に向き合って関わり続けていくことに尽きると思う。

初めは間違いもするし、誤解もするし、上手くいかないことだらけだが、その都度修正していく。

間違ってたら謝る。素直に謝る姿を見せる。

時には泳がす。やらせてみればいい。例え失敗すると親は分かっていたとしても。

教えた事が教えた時に全て響く訳ではない。だから待つ。教えた後は願って待つ。

この繰り返しの22年。

「お前が正しいんか!?」

まだまだ途中経過だけど、今のオニーとイモートを見て!今んとこ大きく間違ってはいなかったみたいよ、私(笑)

 

 

67***ときどきイモート4***

イモートの記憶…

まだイモートが三輪車に乗っていたから、年少位だっただろうか。オカンが神戸へ友人と会いに行くため、父親に子ども達を頼んでいた。

夕方、駅から家へ向かって歩いていると、途中で三輪車に乗って父親と公園へ向かうイモートを見かけた。「イモートー!」とオカンが呼ぶと、オカンに気付いたイモートが、手を振りながら「ママー!おかえりー!こうべたのしかったー?」とニコニコしながら聞いてきた。

「楽しかった?」なんて言葉が出ることにびっくりさせられた。オカンが数日前からこの日を楽しみにして、自分の子ども達も相手の子ども達も元気で出掛けられます様にと祈りながら、何を着ていこうか、何を食べに行こうか、ウキウキしていたのを分かっていたかのように感じたからだ。

イモートにはそんな子どもらしからぬ所が時々感じられた。

そんなイモートが、小3のお誕生日にDSを買って貰う事になった。オニーに与えた歳までは、と待たせていたので、待ちに待ったイモートは嬉しくてしょうがない。本体とニンテンドッグスのカセットを買って貰い大喜び。

その頃にはオニーはもう中学生で、DSはほぼ卒業していたが、オニーはポケモンやイノズマイレブンのカセットを誕生日やクリスマスにプレゼントとして買って貰い、その攻略本はお小遣いで買っていた。父親にねだっても、小遣いで買えと言われていたからだ。

オカンが冗談で、「犬育てるのも攻略本とかあるんかな?」と言い、オニーは「戦うんちゃうのにそんなんあるかー?」と言って笑っていた。

すると後日、家に本が届いた。夫の名前だったので渡すと、「あー来たきた。イモート、はい、これ、ニンテンドッグスの攻略本!楽しんでねー。」と渡して2階へ上がって行った。

1階に残された3人はシーン…。オカンはハラハラした。オニーはどう思う?するとオニーが「やっぱ、イモートはええよなー!オレなんか絶対買って貰えんもん。自分で買え!って言ってさー。」と言った途端、イモートが持っていた攻略本を思いっきりバシッと床に叩きつけた。

「こんなん買ってって言うてへん!!!」

そのまま2階の自分の部屋へ行ってしまった。

1階に残されたオカンとオニーと攻略本…。2人ともビックリした。イモートのそんな姿は初めてだった。オニーが少し嬉しそうに「びっくりしたなぁ。」と言った…。

この時から、オニーはイモートを完全に信用した様に思う。いつも父親に可愛いがられ、イモートばっかり贔屓されていると思っていた。でもイモートは、そこで調子に乗って父親に媚びを売る奴ではなかった。イモートは味方だ。

何年か後に、この時の話をイモートとした。イモートはずっとオニーを好きなのに、父親が自分の事でオニーを怒るからオニーに嫌われてる(と思う)のが凄く嫌だったそうだ。「嫌いな人のせいで好きな人に嫌われるねんで?サイアクやろ?」と。

きょうだいの仲を左右するのは親。

親は責任重大だ。

 

 

66*2013 オニー中学校2年生>>5

Mさんの助言で夫との関係修復を考えたオカンは、まず夫に謝った。今までオニーにばかり目を向けて、夫に対して雑になってしまっていたことを謝り、今まで言わなかったオニーの大変な事や辛い事を話した。これからは何でも話して、2人で相談して仲良くやっていきたい、今までごめんなさい、と頭を下げた。

夫はなんとなく嬉しそうに見えたが、「うーん、そんなんとちょっとちゃうねんけどなぁ。」と言った。そして10年近くの年月をかけてすっかりこじらせてしまっている夫は、「それをオニーの前で言えるか?」と言ってきたのだ。オニーの前でオカンに、私が悪かった、ごめんなさい、と頭を下げろと言うのだ。

そしてもう1つ。夫はこんな事も言い出した。「n市で上手くやっていけないアンタを可哀想に思ったから、俺はアンタの為に転職して関西に帰ってきた。それやのにアンタは帰ってきて、実家や友達が近くに居ることでどんどん調子に乗って、俺に対する感謝が無くなった。俺はアンタの為に転職までして、それは最大の愛情やったのに。転職までしてくれて感謝してる、それも言って欲しい。」

オカンは夫に、オニーの前で言うと約束した。きっと夫はオカンを試しているのだろうから、オカンも本気を見せなければ。夫を満足させる為にはやるしかない。

でも、オカンの中では、それは得策ではなかった。なぜなら、オニーはオカンが父親に謝る姿を見て、「ナルホド!オカンが悪かったんや!」と思う訳がないからだ。そして、転職への感謝はオニーには全く関係のない話だから。そんな事をすればオニーは、父親がオカンを謝らせている、と思って余計父親に反発するだろう…。

でも仕方がない。まずは夫の電池を充電しなくては。始めてしまったのだから、やるしかない。オカンは夫の望み通り、オニーの前で謝り、感謝を伝えた。

夫はとても満足そうだった。しかし案の定、今まで自分の味方だと思っていたオカンが、父親に寝返ったと思ったオニーの反発は凄かった。

数日後、学校から呼び出された。オニーが担任の制止を振りほどいて教室を飛び出した時、担任がドアにぶつかって怪我をして病院へ行っている、とゴッTから連絡があった。

オカンは夫に電話をした。子どもの事で仕事中に電話をしたのは初めてだったかもしれない。とりあえず、学校へ行くと伝えた。夫は自分も帰って行こうか?と言ってくれたが、1人で大丈夫だと伝えた。

学校へ行くと、ゴッTと組長が生活指導室にいた。先生方によると、最近オニーは機嫌が悪く、様子がおかしかったそうだ。オニーは以前から学校で、父親が嫌いだとかクソだとか言っており、先生方はオニーと父親の関係を知っていた。家で何かあったかと聞かれ、事の経緯を話した。「…ショックだったんでしょうね。」

先生方でも分かること。それが当の本人には分からない。夫には分からないのだ。自分の欲望を満たすためにした事が、どれだけ息子を傷付けたか、という事を。

本当は、オカンは夫と2人の間で仲を修復し、オカンが夫とオニーの間を取り持って、徐々に父親と息子の距離を縮めていきたかった。何故なら、オニーが父親を嫌う根本は夫婦仲とは関係ないからだ。オカンと夫の仲を修復するというのは、夫がオカンの方に来るという事であって、オカンが夫の方にぴょんと行くのではない。オカンがぴょんと行くと、オニーとオカンの距離が離れてしまう。そうなれば、オニーはオカンを取られたと思ってしまう。オカンは俺を捨てたんだ、と。

きっと夫はそこまで深く考えてはなくて、自分も家族と仲良くしたくて、オカンが悪かったと謝る姿を見れば、父親が悪かったのではないと知って、オニーは直ぐに自分を受け入れてくれると勘違いしたのだろう。父親と息子の溝は、夫が思う以上に深く離れていることを、夫は気付いていなかった。そして、夫が考えているような理由から、オニーが父親を嫌っているのではないと言う事も夫は分かっていなかった。

そう、夫は何も分かっていなかった。

オカンに裏切られたと思い、傷付いたオニーはますます荒れていくのだった…。

 

 

65*2013 オニー中学校2年生>>4

5月頃から徐々に雲行きが怪しくなり、6月にはかなり歯止めが効かなくなるのを感じていた。それでもまだ学校には毎日通っていたし、塾も休みながらも通っていた。

その年、Sさん(オカンのママ友)がPTAの副会長をするということで、オカンも誘われて役員をしていた。1度やればイモートの時は免除と聞いていたし、小学校の時同様、学校へ行く事でオニーの様子も分かるだろう、と思ったのだ。

その年のPTA会長が、なんと小学校3年の時転校したクラスのmちゃんの母、Mさんだったのだ。新居の我が家に来て、六星占術でウチの家族を見てくれたMさん。4年ぶりの再会だった。

春からPTAの会議などで顔は合わせていたが、特に2人で話すことは無かった。そんなMさんがある日いきなり役員会の終わりに話しかけてきた。「久しぶり!オニー、大変そうやけど、ダンナさんと上手くいってる?」「え?」オニーが大変という事を知っている事にも驚いたが(有名だったようだ…)、どこからダンナが出てくるのか??

「あんまりかな…。」特に親しくもなかった、4年前に1度家に来てくれて話しただけのMさんだったのに、何故か自然に本当の事を言えた。「上手くいってないわ。」すると、Mさんは言った。

「ダンナさんとの時間作ってる?男の人って、奥さんが息子ばっかりに時間をかけてると、息子を愛せなくなるねんよ。奥さんがダンナさんを構って大事に大事にすると、ダンナはやっと息子を可愛いがれるねん。ウチもそうやったから。先ずはダンナさんを愛してあげて。」

なるほど、なるほど。10歳以上も年下のMさんに言われて、納得した。パピーさんの言う、愛情の電池の枯渇。これとリンクした。

夫は寂しいのかもしれない。それを素直に伝えられず、北風と太陽の北風になってしまっているのかもしれない。元々、実母が弟ばかりを可愛がる、という思いに蓋をして生きてきた夫にとって、妻はやっと自分を1番に愛してくれる存在だったのだろう。

確かに、オニーが産まれるまでは私も夫が1番だったし、夫も私のしたい事(実家にちょくちょく帰ったり、友達と飲みに行ったり)を気持ちよくさせてくれていた。今みたいにお金にモノを言わせて、ネチネチと嫌味を言ったりする人ではなかった。それは全て寂しさが、夫のプライドを守る為に、自己防衛として夫を変えてしまったのかもしれない。つまり、私が夫を変えてしまったのか…。

Mさんの短い助言は、きっと神様がMさんの口を借りて私に伝えてくれたのだと思う。

「神様は直接人に話しかけることが出来ない。だから、人の口を借りて伝えてくる。」

私の祖父の言葉だ。だから人の言うことは、それが誰であっても―年下だろうが、子どもだろうが、嫌いな人だろうが、もしかしたら神様の言葉かもしれない、と思って素直な心で聞く事が大切なのだ。

Mさんのこの言葉で、オカンはオニーよりも先ず、夫との関係を修復しようと決心した。

 

※Mさんに六星占術について聞き、オカンは細木数子さんの本を買い漁って色々勉強した。

オニーはなんと産まれてから15歳まで宿命大殺界という大変な殺界を背負っており、幼少期にこの殺界に当たる子は、子ども自身よりその親が大変な試練を受けるということだった。この時、まだ後1年半残っていた…。

オカンはそれ以降、六星占術を学び、過去と突き合わせ、様々な失敗や成功が人生の運気に関わっている事を実感した。今はその運気に逆らう事無く、人生の四季を上手く過ごしている。Mさんには今でもとても感謝しています。