青いそら~オニーとオカンと時々イモート~

これはアスペルガーのオニーとフツーのオカン、2人の20年以上にわたる成長記録である。

64*2013 オニー中学校2年生>>3

中学に入ってガラケーを持つようになったオニーだったが、2年生になって、当時まだ出始めだったスマホを欲しいと言い出した。父親もまだガラケーだったし、オニーのガラケーはまだ1年ちょっとしか使っていないし、当時のスマホ代はかなり高かったので、オカンはオニーにそれは無理だと言っていた。

直接父親と話す事が苦手なオニーは、ことある毎にオカンにスマホにしたいと言ってくる。仕方なく、オカンが父親に「オニーがスマホに変えたいって言ってるねんけど・・・」と言った。

案の定父親は、「は?何を言うてるねん?部活はクビになるし、野球の時もそうやけど、アイツは何やっても続かへん。根性がないねん。イモートは芯があるように思えるけど、アイツは男やのにあんなんで先が思いやられるわ。誰に似たんや?俺も××(義弟)もそんなんちゃうしなぁ。アンタんとこか?」

スマホの話から、全く関係の無いオカンの実家にまで要らぬトバッチリを受ける始末。何かを話すといつもこの調子で嫌な思いをする。夫は思った事をそのまま言っているだけで悪気は無いのだが、その発言で相手がどんな気持ちになるかは全く想像がつかない。

「じゃぁ、直接オニーに言うたってくれる?」と言うと、「もう中学生やねんから、小遣いを年棒制にして、自分で管理させたらええねん。」と言い出した。

中学生の小遣い年棒制?聞いたことがない。

夫曰く、「月々の小遣い、スマホ代、服代、靴代・・・ざっと年間どれくらいかを計算して渡すねん。その中で自分で考えてやりくりさせる。足りなくても余っても自分の責任。そしたら金くれ金くれってせびってこんやろ。その中で、違約金も含めてスマホに変えるならそうすればいい。自分でやらせろ。アンタもその方が楽やろ?」

そんな事ある?中学生に1年分のお金渡して、服や靴まで自分でお金の管理をして買うの?どうやってその金額計算するの?よく分からなかったが、一応書き出してみた。ただ、夏と冬では服代も全然違うし、予測がつなかいので、とりあえず半年でこれくらいかな、という金額を提示した。「ほんならそれだけ渡して、後は半年後まで一切渡すな。」えっ!?そんな簡単に?何も言い返せないまま決まってしまった・・・。

オニーにその事を話すと、そこは中学生。ウン万円という金額に飛びついた。そしてとにかくスマホにしたい!という事で、仕方なくオカンはオニーとauSoftBankへ行き、スマホに変える試算をした。違約金だけで1万円ほどかかるし、月々も結構かかる。半年分の料金を差し引くと、残るお金は少なかった。後の残金で服や靴までも・・・やっていける気がしない。

しかし、オニーはまだまだ子どもで朝三暮四。とにかく友達がまだ持っていないスマホを持てる事の喜びしかなかった。今はいい。まだ少しお金が残っているから。父親は今後一切お金は渡すな、というスタンス。本当に中学生が自分でお金の管理を出来ると思っているのか?正気の沙汰か!?

「アンタもその方が楽やろ?」・・・オカンと夫の感覚は日本とブラジル位離れていた。このまま無事に半年過ぎるわけが無い。この先を想像すると、オカンは頭が痛かった・・・。

 

63***オカンの祈り***

オカンはちょうどこの頃から、心が苦しくなると、自分の胸の内をノートに書くようになっていた。日記という程毎日では無いが、辛く誰にも言えない想いを、書く事で吐き出して心を保っていた。

オニーの事、夫の事などを書き記し、それを後にDEATH NOTEと呼んでいた。もし、いつか、夫と争うような時があれば証拠になるだろう・・・そう思って。

オカンの備忘録であるこのプログが、いよいよ地獄の始まり2013年に入り、記憶を辿ろうと何年か振りにDEATH NOTEを開いた。少し読んだだけで当時の気持ちが溢れ返り、胸が苦しくなりノートを閉じた。読めない・・・。

忘れる、という最高の癒し。時が経つ、というゆっくりだが確実な癒し。何年もかけて塞がってきていた傷口が、ノートを読んだ瞬間にパックリと開き、また血が流れてきた。痛い、痛い、辛い・・・。

今、オカンは幸せだ。人生で1番幸せを実感している。戻りたい過去など(幼少期も含めて)無いし、今の幸せがいつまでも続いてくれたら、と思っている。

悪い事も良い事も、いつまでも続かない事は分かっている。今の幸せもまた、いつどうなるか分からないことも分かっている。

でも、祈らずにはいられない。今の幸せが少しでも長く続きますように。大きな幸せなんて望まないから、ただこの穏やかな日々が、オカンとオニーとイモートの、離れていても繋がっている3人の絆が、今のまま続いてくれますように。オカンが虹の橋を渡っても、オニーとイモートと肉体の無くなったオカンの魂が、ずっと繋がっていますように。

オニーとイモートへ、ブログを書き続けよう・・・。

 

 

62*2013 オニー中学校2年生>>2

骨折した足も徐々に良くなったので、オカンはまた土日が休めるパートを探し始めた。

オニーは学校が終わると、部活が無い為すぐ家に帰ってくる。友達は皆部活があるので遊び相手も居らず、夜の塾までには時間があり、ヒマである。オニーの天敵、"ヒマ"。これは本当に良くない。

学校の帰り道にひなびた神社があり、そこにY中学校をその春卒業したs君が居た。s君は既に高校を中退し、バイトをしながらフラフラしていた。どちらから声を掛けたのか分からないが、ヒマな者同士、仲良くなってしまった。

「学校の帰りに神社でs君に会ってん!」

相変わらず、中学生男子にしては、オカンに(悪いと自覚してる事以外は)何でも話すオニーだったので、s君の事も嬉しそうに話してくれた。

しかし、高校を中退して神社でフラフラしているs君とつるんでいる・・・悪い予感しかしない。s君も毎日オニーの学校の帰りを神社で待つようになり、オニーが家に帰るのはだんだん遅くなっていった。

何をしているのだろう・・・。心配になったオカンは生活指導であるゴッTに相談した。s君は中学時代サッカー部で、その顧問がゴッTだったこともあり、ゴッTがs君に会いに神社へ行って下さった。

「オニーはまだ中学生やから、悪い事に巻き込んだらアカンぞ。」という感じの事を言ってくれたようだった。しかし、オニーが懐いてしまっているのだから仕方がない。きっとs君も色々あって退学したのだろうし、ヒマだっただろうし、人恋しかっただろうから。

初めの頃はそれでもまだ、塾の時間迄には帰ってきていた。しかしそのうち、どんどん学校からの帰りが遅くなり、塾に間に合わなくなったり、塾の後で会っているのか、塾からの帰りが遅くなるようになった。

この時こそが、昔からオカンの母、アーチャンが言っていた、思春期は父親が必要!な時だった。父親から息子に、ガツンと言ってもらう。「お母さんに心配かけるな!」理想のフレーズだ。

しかし、そもそもウチには父親と息子に信頼関係がない。そして、父親はきっと要らないフレーズ(お金絡みの)で火に油を注ぐだろう。当時、夫から「普段頼らんくせに、何か問題あった時だけ頼ってくるな!」と言われ、それならお金以外は一切頼らない、と心に決めていたオカンは、誰にも相談出来ず、1人で悩んでいた。

堕ちて行く・・・

そう感じていた。

 

 

61*2013 オニー中学校2年生>>1

中学2年生になったばかりの4月下旬、オニーはバスケの試合中に足首を踏まれて骨折した。

中学校はとても急な坂道を含め、徒歩30分弱の山の上にあり、重たいカバンを背負って松葉杖で通うのは不可能だった為、オカンが毎日車で送迎することになった。

丁度オカンは4月末で大学のパートを辞める(イモートたっての希望)事になっていたので、そこは助かった。

オニーは一応、松葉杖をついて部活に顔を出していたが、何も出来なくて面白くない。そして何より苦手の"ヒマ"を持て余す。

本来なら、怪我をしていても声を出して応援するとか、座って出来る事を考えるとかするのだろうが、そこはオニー。自分にとって楽しいことにしか興味が持てない為、ヒマでヒマで仕方がない。

で、どうやらヒマつぶしにエアーサロンパスを飛んでる虫にかけてみたり、少し壊れている籠をほじってさらに壊したり、と要らん事ばかりしていたようだった。

そんな事が続き、元々オニーを良く思わない女顧問は、オニーの居ない時に2年生部員を集め、誰がこんな事をしたのかを問い詰めた。実際はオニー1人でやっていたのでは無かったらしいが、女顧問の前で他のメンバーは何も言えず、「オニーがやったんやな?これはもう辞めてもらうしかないね!」と、欠席裁判の結果、オニーは部活をクビになった。部活をクビ・・・。聞いた事がない。

当時の部活仲間のkタンは、自分もその場でオニーを庇えなかった事をとても申し訳なく思ってくれた。その後彼とは高校も同じで、いまだに親友である。(6年間、同じクラスには1度もならなかったのだから、バスケ部のお陰である。感謝!)

骨折から数週間経ち、いよいよギブスがとれる!という日。その頃には帰りは松葉杖をついて自力でヒョコヒョコ帰ってきていたのだが、ただいまぁー!と言ったオニーのギブスはかなり濡れていた。「なんで濡れてるのん⁉️」「昨日の雨の水溜まりに入っててん!今日切るからえーやろ?」「・・・小学生かっ💧」

病院に着き、オニーの足を見た看護師さんは、「・・・これでは切れへんわ。まず、乾かさんと。」と言って、ドライヤーを持ってきた。「申し訳ありません・・・。」要らん事をしたせいで、要らん時間を費やし、なんとかギブスを割ってレントゲンを撮り、骨の状態を見てもらった。幸いキレイに治っており、とりあえず、装具を付けてリハビリをすることになった。

しかし、これから、部活のない生活はどうなって行くのだろう・・・。オカンは不安だった。

 

 

60*2012 オニー中学校1年生>>6

☆今月はオニーとオカン、激動の1ヶ月で、ブログを書く時間がとれなかった。ここで起こった事は、2021 オニー大学2年生  のタイトルでいつか書くことになるだろう。苦労は続くよ、いつまでも・・・

 

3学期。学校⇒部活⇒塾というヘビーな中学生活にもすっかり慣れたある夜。

バスケ部の女顧問からオカンに電話があった。オニーの部活での態度が悪い、という内容だった。

そもそも、オニーは人の好き嫌いが激しく、好きな人には懐くが、嫌いな人にはとことん反抗的だった。この女顧問は、オニーの1学年上の学年団の先生で、自分の学年をとても可愛がり、贔屓している、といつもオニー達は言っていた。中でも、1人のイケメン君がお気に入りで、その子の言うことは何でもOK。そしてそのイケメン君はオニーを目の敵にしていた。気に入らない事があると、「オニー!校庭1000周!」とアホみたいな事を言い、それを女顧問はキャッキャと笑いながら「1000周走れー!」とアホみたいに言うらしい。(あくまでオニーサイド情報)そんなのだから、オニーはレギュラーだったにも関わらず(弱小部活だったので)、部活が余り楽しくなかったようだった。

女顧問は1時間以上、グチグチと愚痴を話していたが、オカンは途中から「これかぁ。オニーの嫌いなタイプやなぁ。」と洗濯物を畳みながら、耳をチクワにして「はぁはぁ、スイマセン。」と適当に相槌を打っていた。

この話を当時数少ないママ友の1人、Sさんに言うと、「先生もね、言いやすい親には何でも言うてくるねんで。うるさい親には言わへん事も、謝ってばっかりのオカンみたいな人には言うてきたりするねん。」と言われた。

確かに・・・。イモートが学校で男子にされた事を聞いて、「あ、これは学校か向こうの親から電話あるかもな。」と思う様な事があっても、何の連絡も無いことがあった。あれ?ウチなら直ぐ謝罪の電話か行くかするのに?というような事も何度かあった。

そう言えば、オニーが中学で友人に殴られて口の中を切って病院へ連れて行った(学校がどうしても、と言うので)時も、相手の親(元ヤンキー夫婦)からは一言も連絡はなかった。先生も親を選んでるのかなぁ・・・。

それでも。やっぱりオカンは言ってもらって、オニーが悪ければ一緒に謝る。それでいい、と思っていた。中学の先生方は、そんなオカンをちゃんと見てくれていたように思う。

変な親やから言うのをやめよう、と思われたくはない。それでなくても変な(普通じゃない)オニーなのだ。オカンまで変だったら、もう終わりである・・・。

 

 

59***オニーと父親***

幼い頃から少しずつ心の距離が広がっていたオニーと父親だったが、小学校高学年位からかオニーは父親に不信感を抱くようになっていた。

以前から父親は、オニーがまだやってもいない事を、「オニー、〇〇するなよ!」と先回りして注意する事が多く、それを言われると不機嫌になるオニー。(当然だ。) 父親からすれば、今までのオニーの行動パターンから予測して、やりそうな事をやる前に阻止しようとしているのだが、やってもいない、やらないかもしれない事を先回りして怒られる、なんて子どもにとったら「オマエを信用していないぞ。」と言われているも同然で、当然面白くない。(いや、大人だって不快だ。)

それをオカンの実家でもやるものだから(義父母に迷惑をかけない為かも知れないが)、オカンの母は昔からとても心配していた。

「あんなことしてたらアカンよ。子どもの心を傷つけるわ。思春期が思いやられる。男の子は父親が手綱引いてくれんと大変って聞くよ。・・・あぁ、もう見てて嫌やからはよ夫連れて帰って!」母はオカンによくそう言っていた。

そんなこと。分かってる。私が1番分かってる。でも、夫に言えないのだ。逆ギレされて潰されると分かっているから言えないのだ。オカンには夫に立ち向かう気力が無かった。

中学1年生の終わり頃だったか・・・

家族で外食をしていた時、何の会話からか「自分に厳しく」という話になった。昔から、自分には厳しい、と自負している(っぽい)父親が、自分に厳しくしろ的な事をオニーに言ったところ、「自分も出来てへんくせに。」とオニーがボソッと言ったのだ。

確かに。オカンもそう思う。自分に厳しく無い訳ではないのだか、人への厳しさと自分への厳しさが同レベルに見えるので、人にそれだけ厳しいならもっと自分に厳しくせんとアカンくない?そういう意味で自分に甘くない?と思っていた。オニーもそう感じていたのだろう。だから言ってしまったのだ。「自分も出来てへんくせに。」と。

これに父親は激怒した。座敷の横に座っていたオニーの顔面にグーパンチしたのだ。びっくりしたオニーにもう1発。「生意気な事言うな!」オカンもイモートも固まった。目の前の光景が信じられず、家に帰るまでの記憶は無い。

家に戻ってリビングで、父親はまたオニーを殴った。オニーが憎しみのこもった目で、涙を浮かべながら父親を睨んでいたことはハッキリと覚えている。多分、オカンが父親に、さすがにそれはアカンからオニーに謝って、と言ったと思う。すると父親は、床に土下座をし、「ど・う・も、スイマセンデシタ!」とバカにしたように謝った。

ここが最期の分岐点だったかも知れない。今考えると、ここでオニーは父親を切り捨てた気がする。この頃からオニーは父親を「ヤツ」と呼ぶようになった。

思春期真っ只中のオニーが、父親への怒りと憎しみを抱いて暴走を始める・・・。

58***2021 夏 オニーの帰省***

2021年夏。大学2年生の現在。

この春からオニーは思うところがあって、ある国家資格を目指して猛勉強中だ。夏休みの8月いっぱいは、帰省して勉強するのでよろ!と言われたのは梅雨の頃だっただろうか。

オニーが帰ってきて早2週間。ちょっと嬉しかった話・・・。

中学の終わりか高校になってからか忘れたが、オカンは犯罪に対して罪悪感が薄いオニーに危機感を持っていた。いくら言葉で犯罪を犯したら親はともかく、身内、特にイモートに迷惑をかけるのだということを教えても、「オレには関係ない。」と言うオニー。「じゃあ、イモートが犯罪犯して、そのせいでオニーが就職や結婚が出来なくなったらどう?」と聞くと「ぶっ殺す( -᷅_-᷄ )」と言う。・・・ダメだ。伝わらない。

そこで、ビデオを借りて一緒に観た。

「それでも生きてゆく」

テレビドラマのビデオ。これはおそらく神戸の連続児童殺傷事件をモチーフにしていて、幼い妹を殺された兄を瑛太瑛太の妹を殺した瑛太の同級生の妹を満島ひかりが演じていた。

犯罪者の妹として日陰で生きる満島ひかりや、妹が殺されたのは自分のせいだと自らを責めながら生きる瑛太を見て、犯罪者の家族や被害者の家族の苦悩や生活を知ったオニー。

何より、オニーは線の細い華奢な満島ひかりがタイプだった事もあり、このドラマにハマった。「こんな事になるんや・・・。」衝撃の最終回だった事もあって、オニーの脳裏に焼き付いたようだった。

そして先日、2人で話している時に、テレビのCMで満島ひかりを見たオニーが「満島ひかり見るとな、イモートを満島ひかりにしたらあかんって思うねん。」と言ったのだ。

それだけの会話。直ぐに他の話になったのだが、オカンは心が震える程嬉しかった。伝わっていた・・・!

あの頃は、何を教えても伝わってるのかいないのか、聞いているのかいないのか、オカンには分からず、伝われ!!と祈る事しか出来なかった。当時はまだ知らなかったが、オニーは発達障害の検査の結果でも、聴覚から伝えるよりも視覚からの方が理解し易いと言われた。

1度に2つ以上言っても理解出来なくてフリーズするので1つずつ言うこと。でも視覚からなら理解度は早くて高い、と。偶然にもビデオはオニーに適していたのだ。

イモートを犯罪者の妹にしない。

オニーには反社会的思考が強いので、ずっと心配していたが、この気持ちがストッパーになって欲しい。そう思って伝えてきたことが伝わっていたと思えた瞬間だった。

長い育児、直ぐに結果は出ない。でもこうやって、ふとした瞬間に、ちょっとした事で報われた気持ちになる。でもだからといって100%安心も出来ない・・・。親って大変だなぁ。