青いそら~オニーとオカンと時々イモート~

これはアスペルガーのオニーとフツーのオカン、2人の20年以上にわたる成長記録である。

57*2012 オニー中学校1年生>>5

これも2学期のこと。

クラスの男子でイス引きが流行っていた。座ろうとした人のイスを引いて尻もちをつかせる、あれだ。やったり、やられたり。

オニーがH君のイスを引き、たまたま尻もちをついた時にどこかで頭をぶつけてしまった。H君とはバスケ部も一緒だったのだが、ちょうど数日前に部活で頭を打ち病院でMRI検査を受けていた。また同じ所をぶつけたことから、H君は直ぐに病院へ行く事になった。

担任からオカンに電話があり、即座に学校へ向かった。ゴッTとオニーの居る生活指導室へ行き、詳しい事情を聞いた。

オニーの思考は、たまたまH君のイスを引いた⇒たまたま尻もちだけでなく頭を打った⇒たまたま数日前にH君は頭を打っていた。たまたまが続いただけでH君を狙ったわけでもないし、他の子もやってるし、自分もやられた事もあるし、オレ悪いのか!?だった・・・。

ゴッTもイス引き自体が危険だという事も含めて、オニーに反省を促してくれていたのだが、なかなかオニーに伝わらず苦戦されていた。

オカンの感覚(それが普通だと思うのだが)では、イス引きをしたとして、相手が頭を打ったら、それがたまたま数日前に頭を打った友達なら尚更、やってしまった!という思いが強くてなんで調子に乗ってやってしまったんだろう、と怖くなって反省する。しかし、オニーの脳はそうではなかった。

とりあえずH君が病院から戻ったらH君の家に謝罪に行きましょう、と言われた。

先生2人とオニーとオカンでH君の家へ。ピンポンを鳴らすと、お母さんが出てこられた。先生がH君の容態を聞き、特に何も無かった事を聞きホッとした。

オカンは頭を下げて「申し訳ありませんでした。」と言った。すると、H君のお母さんは、「お母さん、頭を上げてください。お母さんが謝る事ではありません。オニー。オニーに言いたい。オニーはHと部活一緒やからこないだHが頭打って今部活も見学してるん知ってるよね?ならどうしてHにしたん?ウチの子もイス引きやったりしてるんかもしれんけど、友達やねんから、もう少し考えて行動して欲しかったわ。これからはちゃんとよく考えて行動してね。」と言ってくれたのだ。

へたをすれば大怪我、それどころでは無かったかも知れない。事の重大さを先生やオカンからだけでなく、H君のお母さんが先生やオカンの前でしっかり伝えてくれたのだ。とても有難かった。

「すいませんでした。」オニーは頭を下げた。少しは響いたのだろうか・・・。最後にH君のお母さんは、「また部活一緒に頑張ってね。」と言って下さった。凄いなぁ。感謝と尊敬。

幼稚園の時のHさんを思い出した。(16*2005 オニー年長時代>>4)「オニーは悪い子じゃない。悪い事をした時に怒られているだけ。」と我が子に教えたHさん。

今回H君のお母さんは、悪い事をした中学生のオニーに、もっと考えて行動しないといけない、という事を直接オニーに教えてくれた。もう中学生のオニーに、お母さんが謝るのではなく、自分で謝るという事を教えてくれた。

オニーがこの事を覚えているかどうかは分からないが、オカンはまた周りの人に教えられ助けられた。

Hさん、ありがとうございました。

 

 

56*2012 オニー中学校1年生>>4

2学期。体育祭の練習が始まった。

集団行動が苦手なオニーにとって、暇と待機は苦痛でしかない。応援合戦の練習は3年生が団長となり、縦割り3学年を仕切るのだが、どうも段取りがあまり上手くなかったようだった。

暇になると、オニーはロクなことをしない。ここからはオカンの想像を交えて再現すると、練習が進まず暇になったオニーは、ひな壇の自分の前に立つ級友X君の髪の毛をピッと引っ張った。「やめてや。」X君が振り返って言う。やってませーん、の体で知らんぷりをするオニー。前を向いたX君の髪をまたピッと引っ張る。「やめてって~」オニー知らんぷり、を繰り返す。

体育祭の練習以外でも、オニーと数人の子でX君にちょっかいをかけていたらしい。そして、X君が学校に来なくなった。

先生方はX君のご両親と話し合い、オニー達による"いじめ"と判断した。オカンは学校に呼び出され、生活指導のゴッTと担任のK先生にオニーの近況とX君の不登校を知らされた。オカンは全く何も知らず、ただただびっくりした。

オニーはずっと問題児ではあったが、特定の子を虐める、という事はなかったからだ。まず、オニーの話を聞きたい。とりあえずその日は家に帰ってオニーから話を聞いて、その上でもう一度先生方と話したい、と伝えて帰った。

その夜、オニーに聞いた。「X君、学校来てないねんて?」「んー?そういえばそうかな?」「なんでか知ってる?」「いや、知らん。そんな仲良くないからなぁ。なんでなん?」・・・これは・・・もしや💧自覚が無いのでは・・・?

「今日な、学校呼ばれて行ってん。ゴッTが言うに、X君が学校来てないのはオニー達が関係してるみたいやってよ?」「えー?そうなん?」「何かした?」「いやー?」「髪の毛引っ張ったりした?」「そーそー!応援の練習ん時な!ピッて引っ張って知らんぷりするやつ、な!」「しつこくしてへん?」「何回もしたけど、いつも笑ってたで?」「・・・。」

オニーに悪気は無かった。ただ、幼少期からの特徴、しつこく引き際がわからない。自覚がないのは1番タチが悪い。悪気が無いから止めない。

オカンはオニーに、誰もがオニーの様に嫌な事は嫌だ、と言えるわけではないことを教えた。"顔で笑って心で泣いて"ということもあるのだ、と。しかし、オニーには全く理解出来なかった。どうして泣きたい時に笑えるのだ?嫌なのに笑っていられるのか?

アスペルガー。言葉や態度をそのままにしか受け止められない。その裏に隠された感情や心境を読み取る事はもちろん、想像する事が出来ないのだ。

とりあえずオニーに、X君がオニー達にちょっかいをかけられるのを嫌がっている事と、それを面と向かって嫌だと言えない事、そういう子も居るということを教えた。「ふーん( ¯꒳¯ )」余り心に刺さっている様には見えなかった。

その後、校長先生も含む先生方とX君のお父さん、虐めた生徒3人とその母親で話し合いが行われた。子どもも親も謝罪した。

この時は学校から父親を呼ぶように言われなかった事もあり、夫に話はしたが、ふーん、という感じだった。

オカンは不安だった。これからどうなるのだろう。オニーは普通じゃない。ちゃんと話せばもう同じ事はしないのだが、応用が利かないというか、少し違う種類の事をまたやってしまう所がある。夫もグレーだからか(当時は思いやり欠乏症と思っていたが)そんな事くらいで?という受け止め方だった。

その後、オカンの不安はどんどん的中していくのだった・・・。

55***オニーの兆候***

オニーのアスペルガーの兆候は、今考えると幼い頃からちょくちょく見られた。公園デビュー後の行動、幼稚園や小学校での友達との関わり方。しかし、その頃はただの【理系脳の思いやり欠乏症の想像力不足の天邪鬼の引き際知らずの厄介な息子】だと思っていた。

中学生になる頃から、オニーは下着のパンツの腰に当たるタグを嫌がり、取ってくれと言うようになった。肌に直接触れる下着やTシャツの肌触りに敏感で、オカンが買ってきた服の肌触りが気に入らないと絶対に着ない。自分で買ってきても失敗して着ない服もあった。なので、中学も高校も服はオカンと一緒に買いに行って慎重に選んでいた。

中学1年の夏頃、友達と大阪の万博記念球技場へサッカーの試合を見に行った。家を出て1時間程して電話がかかってきた。「オカン、球技場の周りに屋台が出てて、皆色々買って食べてるねんけどな、オレお金足りひん。」「そうか。ほな帰ったらすぐ返すから、友達にお金借りれへん?」「ムリや。だって、オカン、友達と金の貸し借りしたらアカンっていつも言うてるやん。」「・・・いや、そうやけど、今からオカンそっち行くのに小1時間かかるで?帰ったらその足でその子の家にお金返しに行くから。」「ムリや。言うてる事ちゃうやん。」「・・・分かった。直ぐ行く。」オカンは往復2時間と電車賃1,000円以上をかけてお金を届けた。

きっとイモートなら、同じ様にお金の貸し借りを禁じられていても、この場合なら友達からお金を借りたと思う。臨機応変。オニーにはそれは出来ない。オニーにとっては、そこでお金を借りろと言うオカンは筋が通っていないし、イミが分からないのだろう。

オカンは幸いパート主婦だったので、オニーに時間をかける事が出来た。お金は無かったけど時間はあった。シングルで子どもに手がかかる人を思うと、私は恵まれていた。

夫は精神的に私を支えてはくれなかったけど、経済的には充分ではなくとも支えてくれた。そのお陰で、オニーの数え切れない学校への呼び出しにも毎回時間をさけたし、塾へ忘れ物のノートを届ける(そのノートでないと授業を受ける気になれない)ことも出来た。

オニーの偏った思考や強いこだわり一つ一つに時間をかけて寄り添う。これはシングルでフルタイムで生活の為に働いていたら難しかっただろう。夫が居たから出来たこと。

当時はそんな風には思えず、そんな事を考える余裕もなく、ただただオニーとイモートだけを必死に見ていた。

アスペルガーのこだわり。ともすると、我儘と思われがちだ。夫は私が甘やかしたからだ、と言った。私もそうなのかと悩んでいた。小学校に入学位のタイミングで、全ての子どもに発達障害のテストは出来ないのだろうか。自分の特性を知る事で本人も、いや、その歳なら本人よりも、救われる母親がいるのではないだろうか。少なくとも私は自分を責めずに済んだと思う。夫婦でオニーのアスペルガーに向き合えたかも知れない。今更、だけど・・・。

 

 

 

54*2012 オニー中学校1年生>>3

1年生時の担任はK先生という美術の女の先生だった。オニーは新しい環境や生活に慣れるのに必死だったのか、大きなトラブルは友達とふざけて教室のドアにぶつかって壊したくらいだった。

1学期の成績はほぼ5。塾のお陰か成績は良かった。三者懇談でも協調生に欠けるという注意(心配?)程度だった。

夏休みは毎日部活と夏期講習。顧問の先生は本当に大変なのだろうが、部活のお陰で生活リズムが乱れる事もなく、とても有り難かった。

お盆休みには鳥取へ家族旅行に行った。当時のペット、チョロ太とハムカもケージごと一緒に連れて行った。

実はウチの家族は観光旅行に向いていなかった。ディズニーリゾートやスキーなどのアクティビティ系の旅行は(よっぽど混んでいない限り)目的が明確でいいのだが、観光旅行はオニーには退屈なのだ。

鳥取へは2泊3日で、ゲゲゲの鬼太郎ロードやコナンミュージアムの観光と海水浴、道中のドライブ、という内容だった。海水浴は良い。だが、それ以外はオニーには退屈だった。お土産店を見て歩くだけでも楽しめる女子と違い、どうせ1個しか買ってくれへんのにウロウロ見てもしゃーない、というのがオニーの感覚なのだ。

オニーが面白くなさそうに「早く行こー」と言ったり、携帯をいじったりしていると、父親が不機嫌になり出す。オカンは2人の間でハラハラし、オニーに構いながら夫を気にして楽しめない。

オニーがイモートにちょっかいをかけ出し、ケンカになった。いつものことで、イモートはもうやめて、の合図で泣く。そうするとオニーは、あ、せやった💧としつこくしてしまっている事を思い出して止める・・・のだが、そこが分からない父親が「オニー!」と怒った。いつものじゃれあいなのに、何も知らずに何も聞かずに頭ごなしに怒ってくる父親に腹を立て、更に不機嫌になるオニー。

すると父親が、「せっかく旅行に来てるのにその態度は何や!?携帯ばっかいじって。解約するぞ!」アカン💦と思った途端、「ほなこんなん要らんわ!」売り言葉に買い言葉で、オニーが携帯を投げてきた。「誰の金で携帯持ててると思ってるんや!」

オカンの1番嫌いな怒り方だ。論点がズレている。

本当に携帯を解約するなら良い。先を見て(もう2度と携帯を持たせないのか?)、解約金を払う覚悟を持って言ってるならまだ良い。でも、子どもに生意気な事を言われてカッとなって言い返しただけなのなら、余りにも大人気ない。しかも内容が、やりもしない(出来もしない)解約と大人の力を見せつけるお金。最低だ。私はそのやり方が大嫌いだ。

小3の時のI先生の「うるさくするなら帰りなさい!」と同じで、本当に出来ないのなら言った方が負けなのだ。

せっかくの家族旅行の思い出は最悪。これが4人での最後の家族旅行になった。

 

 

53***ときどき イモート 3***

オニーが中学入学、イモート小学校3年生。

今までの土日は、オニーに合わせて出掛けたり出掛けなかったりしていたが、中学生になったオニーは土日も部活や塾で忙しく、たまの部活OFFには友達と出掛けるようになった。

待っていたチャンス到来!今までオニーの二の次だったイモートの、一人っ子(モドキ)時代がやって来たのだ!オカンはイモートとの時間を楽しむことにした。休みの日には、2人(時に父親も)で出掛けて甘い物を食べたり、ファンシーショップで長時間かけて買い物したり、映画を観たりした。

特に2人で気に入っていたのは、オカンのパート先で知ったハンドメイド展だった。ハンドメイドのアクセサリーやぬいぐるみやポストカード等、見てるだけでも楽しく、ついつい買ってしまう楽しさの虜になった。

大学は隔週で土曜出勤があったので、月2回のオカンの居ない土曜日は、父親と仲良く出掛けてくれたらいいなぁと思っていた。なので、映画こんなんやってるよー、スケート行ってきたらー?等とイモートに提案しても、「ママ居ないからイヤ。」と1度も行かなかった。

父親がイモートに「何処か行きたい所ある?」と聞くと、「ママの大学!」と言って、2人で仕事終わりのオカンを車で迎えに来てくれたことが何度かあった。

今になってイモートに当時の事を聞くと、「朝起きたらそーっと1階へ降りて、DS取って部屋に戻って、お父さんに声掛けられんようにゲームしとったわー。昼ごはんにマクド買って来て貰うんだけは良かったけど。ホンマ大変やってんでww」マクドへ一緒に買いに行くことさえしなかったらしい・・・。

オニーの野球といい、イモートの土曜日も、父親と子どもだけ(オカン抜き)のチャンスだと思ったのだが、上手くいかなかった。

大学のパートは1年後の契約更新で更新せずに辞めることとなる。

理由は、契約更新の時期に何気なくイモートに、「オカン仕事続けて良いかな?」と続ける気マンマンで言ったら、なんとイモートが、「えーー!まだ行くのん?土曜日お父さんと2人イヤやー( ´•_•。) ママと居たい・・・」と言ったからだった。

生活にどうしても困っているのではなかったし、子どもが「ママと居たい。」なんて言ってくれるのは後何年だろう?(ママと居たいのか、お父さんと居たくないのかは分からなかったが💧)その内、一緒に出掛けようと誘っても出掛けてくれなくなるかもしれない。(幸い、まだ出掛けてくれる(๑ ˊ͈ ᐞ ˋ͈ ))

オカンにとって楽しく刺激的な職場だったが、イモートと天秤にかけたら・・・考えるまでもなかった。イモートの"今"は今しかない。仕事は土日休みの所をまた探せば良い。辞めだ。

イモートに求められる喜びに勝るものはなかった。イモート、実は結構嬉しかったんだよ、オカンは。

✱後日談✱
翌年4年生になったイモートはrちゃんという親友(今でも親友)が出来、毎週土日遊びに出掛けて行くのだった・・・( ˊᵕˋ ;)💦

52*2012 オニー中学校1年生>>2

中学生になったオニーの生活は激変した。

部活はバスケ部に入り、当時は平日は毎日、土日は半日。

学研を続ければいいと思っていたオカンに反し、「ちゃんとした塾に行きたい!」しかも、「近所で学校の奴が居るんは嫌やねん。ちょい遠目が良い!」という事で探しまくり、見学に行き、試験を受け、家から電車で30分位の進学塾へ週4日通い始めた。

4月はギターも続けていたが、さすが時間的にも体力的にもムリがあり辞める事にした。

そのタイミングでオカンは12年振りに働きだした。T大学の受付、9時~17時、隔週土曜含む週3日。オニーに手がかからなくなる(ハズ)のと、徐々に夫婦仲が悪化し、結婚以来オカンがしていた家計管理を夫がすると言い出したからだ。

オカンは、夫の収入からするとかなり少額の現金とクレジットカード(後に切って捨てられる)を渡されていた。現金が足りなくてクレジットカードを使っていたら、毎月の現金をカード使用額を差っ引いて渡された事もあった。

イモートの習い事は現金払いだったし、子ども達の成長で食費は増えていく。オカンに小遣いなんて無かった。

夫にお金をもっと欲しいとは言えなかった。何故なら・・・

子ども達は、やりたい習い事でも欲しい物でも学校での出来事も何もかもオカンにしか話さなかった。きっと幼い頃からの"学習"の結果なのだろう。直接父親には話せないので、何でもオカンに相談し、オカンから「こんなんしたいらしいわー」とか「誕生日プレゼントは〇が欲しいねんてー」等と伝えたり、オカンも一緒に居る時に子ども達に言わせたりしていた。

それが夫は気に入らなかった。夫はやたらと「家族会議」をしたがった。直接自分に話して欲しかったのだか、子ども達は普段の何気ない日常会話の中で、食事中や寝る前などの会話の中で自然とオカンに話しているので、「家族会議」になっても結局オカンは先に知っているのだ。とにかく、夫にとっては面白くない。

だからお金の管理を自分がすることで、必ず自分を通す様にしたかったのだ。しかし、お金の管理が誰であろうと、子ども達が直接父親に話すことは無かったので結果は同じ。今まで通り、子ども達がオカンより先に父親に話したり頼んだりする事は無かった。

夫は気に入らない事があると、オカンにカード返して!と言ってカードを取り上げる様になった。大体数日経って落ち着くとカードを返してくれるのだが、返してくれる確証はない為、オカンは精神的にキツかった。

お金で圧をかけてくる・・・これは恐怖だった。働かなくては・・・!

51*2012 オニー中学校1年生>>1

オニーのマンモス小学校の卒業生は、私立へ進学する子を除いて、3つの公立中学校に別れて進学する。3分の2はマンモスN中学校、残り3分の1が更に2校に別れる。オニーは2012年4月、残り3分の1の1校であるY中学校に入学した。

Y中学校は、すぐそばのY小学校からの生徒とオニーの小学校からの生徒が通い、オニーの1年生はスカスカの3クラス、2年生と3年生は2クラスの当時市内で最小規模の中学校だった。

Y中学校の周りは、山の手を切り開き始めた高級新興住宅地の為、Y小学校は元々少人数の上に私立中学校を受験する子が多く、公立のY中学校に上がって来る子は少ない。マンモス小学校とはかなり家庭のカラーが違い、親の雰囲気も全然違っていた。

Y中学校は、各学年で先生の学年団があり、担任の先生達と数名の先生達が3年間持ち上がってその学年を担当する。生徒は毎年クラス替えでメンバーが変わるが、どの担任になるかなぁ、というだけで先生達は変わらない。そして生徒の人数が少ない為、学年団の先生達は生徒と深く関わって下さる。なので小学校の時のように毎年オニーのトリセツを話さなくてもよくなった。

なにより有難かったのは、オニーがこの学年団の先生達にとても恵まれたことだ。

生活指導であり、時に担任となり、オニーの卒業を待って(かは知らんが)他の中学校の副校長になったゴッT。オニーが大好きだった組長(女性担任)。1度も担任になっていないのに担任以上に付き合ってくれたオクT。特にこの3人の先生方なくしてオニーの中学生活はなかったし、語ることは出来ない。この先生方のお陰で、オカンはオニーの大変な思春期の3年間をなんとか乗り越え、その後まだ続いた更なる地獄の高校生活も乗り切れたのだと思う。

人との出会いが、人の人生を変える事がある。

オカンは自分の学生時代にそんな出会いは無かった。この人と出逢えて良かった、と思うことはあるが、この人に出会わなければ自分の人生は全く変わっていただろう、という程の強烈な出会いは無かった。

オカンにとってこの出会いは、神様が試練を乗り越える為に出会わせて下さった救いだったのだろう。

人こそ財産。

オカンの最期の言葉はこれにしよう。オニーよ、天高く徳を積め。お金で買えない人こそ財産。

いよいよ、中学生活の幕開けである…。