青いそら~オニーとオカンと時々イモート~

これはアスペルガーのオニーとフツーのオカン、2人の20年以上にわたる成長記録である。

45*2010 オニー小学校5年生>>2

役員をして良かったこと。それはとんでもない情報網を手に入れたこと。つい1年前に引越してきたばかりなのだが、スーパーや病院、ランチのお店等など、普通に専業主婦をしていては得られない情報と人脈を手に入れた。

幼稚園の役員をしたお陰で小学校の役員制度を知り、いつか働く日の為に役員を済ませておきたかったオカンは副会長になった。そのお陰でまたまたさらに情報網が広がった。

有難かった情報、それはオニーの行動情報だった。役員で知り合った気の合いそうな人達には、ウチのオニーはヤンチャで大変やから、オニーを見かけたらオカンまで!とメアドを交換しておいた。夕方になると、オカンのガラケーにはピコンピコンとメールが届く。

「オニーがアイガンの辺を東へ爆走してたよー!」「オニー、しまむら辺で見たよ!」(しまむらは校区外であり、市外だ💧)等など。目立つ顔立ちに派手な服(当時オニーのブームはBABYDOLLだった)、真っ赤なスポーツタイプの自転車で爆走、あるいは両手放しで走行するオニーはとにかく目立つ。(そういえば、中2の時にはオニーがカマキリチャリの後ろに悪友、前カゴにその友の小2の弟をETの様に乗せて走行してる!というとんでもない目撃情報もあった・・・)

メールを受けると、「ありがとう!」と返信し、オニーの帰宅を待つ。帰って来たオニーに、「おかえりー。どこ行ってたん?」「んー?その辺の公園!」「ふーん。アイガンの辺爆走してへんかった?」「えっ💦見てたん!?」「どこ行ってたん?」「…( ˙ㅂ˙ )…」

そんな日々のお陰で、オニーは自分の行動がナゼかオカンに把握されている⇒オカンは騙せない、という思考が刷り込まれたようだった。これはとても有難く、オカンは何でも知っている、という少し恐怖も混ざった感覚が植え付けられたお陰で、その後の思春期にも少なからずの影響があったように思う。

役員は大変だったし理不尽な事も多かったが、
オカンにとってはオニーへの圧(のようなもの)が1番の収穫だった。

幼稚園の役員と副会長の2年間、ほぼ毎日の様に幼稚園と学校に通いつめたけれど、園でのイモートの様子が見れたり、学校での2人の様子が見れたり、専業主婦が出来る環境だった(これは夫に感謝)事も含めて幸せな時期だったと今振り返って思う。

2010年は忙しかったが、オカンの精神的にはまだ穏やかな1年だった。