青いそら~オニーとオカンと時々イモート~

これはアスペルガーのオニーとフツーのオカン、2人の20年以上にわたる成長記録である。

41***育児について思うこと***

私は職場で総務もしているので、職員の入退職の手続きもしている。

先日、1人の若い女性の退職手続きをした。その子は元々仕事を辞めたがっていたらしいが、奨学金返済の為に母親に退職を止められていた。病気で数ヶ月休職したこともあり、彼女は復職せずにそのまま退職したかったが、母親はそれを認めなかったようだ。しかし、やはり耐えられなかった彼女は復職はしたものの欠勤を続け、結局退職することとなった。

後日、彼女の上司と会ったので、何気なく彼女の事を聞くと、「退職の手続きをした日、帰りにロッカーキーの返却にも来ず、何度電話しても出ないんです。仕方なくお母さんに電話したら、なんと彼女が退職した事を知らなかったんですよ!毎朝お母さんより早く家を出て、仕事終わり位の時間に家に帰って来るそうで・・・。」

この件についてある人は、社会人として無責任だ、と言った。またある人は、リストラされたオジサンやん!そのうちバレるん分からんか?と言った。

私は複雑な気持ちだった。彼女は何故お母さんに辞めたと言わなかったのか。言えばどうなるか想像出来たから、言えなかったのではないか。ちゃんと話を聞いてもらえる、という信頼関係があれば、こっそり辞めて、リストラ公園オジサンみたいなことはしなかった、しなくて良かったのではないか?彼女だけが悪いのか??

私は親子の不仲の責任は100%親にある、と思っている。私自身、父親との関係が希薄過ぎて、若い頃には父を嫌ったり悩んだりしたが、自分が親になってよーく分かった。そして江原啓之さんの本を読んで確信した。


「無償の愛」を注いで育てなかった子どもが親に対して愛情を持つことはありません。
愛を持って接していない相手が、自分に愛を与えてくれる事はありません。
苦難の時に信じる事が出来るのは「無償の愛」で結ばれた絆だけです。


親が悪い。親に愛されたくない子どもなんていない。産まれた時から、子どもは生きる為にも全力で親に愛されようとする。そこに親が自分の事は二の次で、見返りを求める事無く、時間と心を注いで育児をするのか。「無償の愛」を注げるのか。

子どもに罪は無い。ただ、その子どもも大人になり、また親になるかも知れない。彼女のお母さんもまた、もしかしたら親に話を聞いて貰えない子どもだったのかも知れない・・・。

子どもが欲しいのはきっとおもちゃでもお金でもなく、親の"時間"だと思う。自分を見てくれる時間、自分の話を聞いてくれる時間、自分と一緒に何かをしてくれる時間。親の時間を沢山貰えた子どもは充分に愛情の電池を充電して育っていくのだろう。

自分が子どもの時どうして欲しかった?答えは自分の中にあるのかもしれない。子どもに罪は無い。でも、子どもっていつまで・・・??

久しぶりにそんな事を考える出来事だった。